臨床教育顧問​

総合救急部部長​

​INTERVIEW

 

寺澤先生インタビュー

聞き手:安藤裕貴(総合救急部部長)、前田昌亮(人事部)

 

#1 救急医になるキッカケ

 

— 本日はありがとうございます。寺澤先生の本を持っている人は多いのですが、最近若い先生の中で先生のことを知らない、その心を知らないという人が多くなっており、とても気になっていまして、いくつかお尋ねをさせていただき、広く知ってもらいたいと思っています。まず、どういう経緯で救急医になられたのでしょうか(安藤)

僕は救急医はやるつもりはなくて、沖縄(県立中部病院)に研修に行ったのは、1年間だけ内科、外科、小児科、産婦人科、麻酔科をローテーションしたかった。当時は大学を卒業すると97人がその大学に残る。いきなり入局する。いきなり専門の勉強をはじめる。

 

僕、学生時代に、一般病院の当直を経験していた。バレー部の先輩の病院だった。

 

心肺停止は来るし、交通事故は来るし、熱性けいれんは来るし、子供も大人も、病気もケガも来る。すごい世界です。

 

そこで一年間、週一で経験をして、普通に内科医になる予定だったんですけど、内科になっても当直で1人でこれだけの相手をさせられるのは、普通の内科の勉強だけではダメだって・・・。ずいぶん悟ったんですね。

 

みんなが入局していくんだけど、絶対当直でみんなひどい目に会うんですよ。自分もそれを避けたいと、内科、外科、小児科、産婦人科と麻酔科をローテーションしたかった。

 

それで探したんですよ。

 

M記念病院、月給6万円。

Tの門病院、月給8万円。

沖縄県立中部病院、月給20万円。

すっごく極貧の家に育ったので、完全にお金に目がくらんで、沖縄にいった。1年だけスーパーローテーションして帰るつもりだった。(そこで)1年働いたら、全然研修じゃないんですよ。2年目の医者が研修を受けているんですよ。アメリカ人とかカナダ人の指導を受けながら主治医をしているのは2年目なんですよ。

 

1年目はその2年目から、痰のグラム染色して来い、尿をとってこい、って下働きなんですよ。これはもう一年やらないと、ここに来た意味がないなと。それで2年目をやったら、気がついたら間違いが起きていて…、結婚していました(笑)。

 

結婚は判断力の欠落によって発生し、離婚は我慢力の欠落によって起き、再婚は記憶力の欠落によって起きる。…とシェイクスピアが言っている。僕が言っているのじゃない(笑)。

その頃、判断力がなかったんですね。結局2年が3年になり、4年になり、3年目、4年目は2年目のドクターの指導係になる。呼吸器を数ヶ月、循環器を数ヶ月周りながら内科のどれを選ぼうかと苦慮していた。そして選べなかった。

 

そうこうしているうちに内科部長が、4年目の研修が終わるころに「総合内科のグループを立ち上げるから、初代の総合内科のリーダーをやらないか。きみ、内科のどれも捨てがたいと思っているみたいだから、総合内科にふさわしいんじゃないか」って言われて、すんなり「それが僕に合っていると思います」と応えて、内科部長と4月からは総合内科をやるという風に決めていた。

その4月の数ヶ月前にトロント大学から救急の教授が沖縄の病院に来ていた。その沖縄の病院では年に4、5回、4、5人アメリカの教授クラスを2週間呼んで、回診したりカンファランスしたりレクチャーしてもらったりという、そういう仕組みがあって、来ることになるとほとんどのドクターが、内科部長が「再来月にメイヨークリニックの内分泌の教授が来ますよ」っていうと、ハイ!ハイ!って研修医たちがみんな手を挙げて、お世話役をさせてくださいっていう。お世話役をすると、コネができて、そのあと留学の道が開ける。非常に不順な動機でみんなパーッと手を挙げていた。

僕はすごく引っ込み思案な臆病な性格で、アメリカなんかに絶対行きたくない、僕は日本でいいって。適当な時期に福井に戻って、医者であればいい。うちは極貧の百姓でしたから、農業と林業だけで親父は生きていたので、医者でありさえすれば、村では高い高い評価だった。なんとかの医者じゃなく、ただの医者でさえあれば、十分みんながよくやったと言ってもらえる。

 

ところが、トロントの救急の教授が来ると内科部長が言って、パーッと手が挙がるかと思ったら、誰も手を挙げない。内科部長びっくりしてしまって、今でも忘れない「え、誰もいないの?」って。みんな下向いて目と目で合図していたのは、救急はもういいよ、もう十分やってるよ、って。3日に1回当直で、もううんざり。救急はもう絶対に嫌だよな、ってみんなで話し合っていた。

 

内科部長と目が合うと、君!って言われそうだから視線を合わせない。「本当に誰もいないの?」。結局内科部長は、「しょうがない、4年目の研修医の中で…、あ、寺澤くん」って当てられちゃって。「え?僕ですか?」僕は総合内科をやりたい、救急じゃないって、ここにテロップを出したんだけど、もうダメでした(笑)。

それで2週間トロント大学の救急の教授のお世話係をすることになった。それで最後に、送別する夕食会が沖縄では最もいいホテルのレストランで、10人ぐらい病院の幹部の人たちと、お世話係をしたからお前も来ていいよと言われ、ただでフルコースが食べれると、それでもう一番隅っこで料理だけを一所懸命食べていた。

 

みんな英語でずっと喋っていた。わかんない、何喋っているか。途中から非常にトーンダウンして、暗い雰囲気になった。

 

オレ?関係ないし。2週間嫌なことしたからご褒美でこんな美味しいの食べられると思っていた。

 

そしたら急に内科部長が「寺澤くん、いま君のこと話してたんだよ」と。

えーっ?全然聞いていない。

トロント大学の救急の教授曰く、1日に100人も救急の患者が来ているERで、1年目と2年目の研修医だけが診ていて、スタッフは一応当直室にいるけど、ほとんど教育・指導・監督はしていない。研修医だけが診て帰して、手遅れで戻ってくる患者さんも、2週間診ただけで何人か発生している。アメリカ、カナダではこのくらいの規模の救急室なら、3人から5人、ERドクターがいて研修医の教育・指導・監督をしている。ここはひどすぎる。やがて救急の患者で医事紛争が起きて、裁判が起きますよ。もしDrテラサワが、救急医になる気があるのならば、北米で救急医になれるような研修を、私がアレンジしますがいかがですか?

 

・・・っていうふうに言ったらしい。

 

何の断りもなく(笑)。全く分からなかった、英語で喋っているから。

 

僕は内科部長に「いや、僕は4月から総合内科ですよね」ってテロップを送ったんです。内科部長はそれをきちんと読んでくれて、「だよなぁ」って言ってくれると思ったら、全く違った。「総合内科の前にERは悪くないよな」って。そこで裏切るのーみたいな。他の人たちも「寺澤くん、こんなチャンスはないよ」って。チャンスなの?って感じ。

 

やりたくない救急を、しかも行きたくもないアメリカに行かされて、結局末は、帰ってきたら恩返しに、この病院の救急室をさせられるという取引みたいなものだった。足かせをもらうのは嫌ですし、救急に全く関心を持てないし、結局そこで院長とか副院長とか、いろいろな人達が「寺澤くん、これはチャンスだよ」「ぜひこれに乗ったほうがいい」「こんな話はじめてだよ」みたいな感じで、もうみんなは完全に乗り気になっている。

 

もしあのまま総合内科をあの時期に始めていたら、いま輝かしい総合内科医として僕は高い評価を受けていたと思うんだけど・・・。(#2へつづく)

 
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​寺澤モデル

#2 北米研修時代

 

—そのあとすぐトロントに?(安藤)

 

そう、トロントにモントリオール、デトロイト、デンバーと、なんでこんな順番で回らないといけないのか?って自分でブツブツいって、やりたくないことをしているわけですから。

 

やりたくて楽しみにしていて、念願の留学をと思って来た人は楽しいでしょうけど、なんでこんな4ヵ所も回るんだよ、みたいな感じですので。

 

全然知らなかったのに、デトロイトでJudith Tintinalli(※)が甲斐甲斐しく世話してくれた。デンバーではPeter Rosen(※※)が彼の自宅に泊めてくれた。彼らがそんな有名な人だと知らないから。本に名前が載るような人だったんですよ。まーびっくりです、帰って来てからですよ、それを知ったのは。

 

※Tintinalli’s Emergency Medicineの執筆者で、米国救急医学会の会長を長年務めた女性救急医。

※※Rosen’s Emergency Medicineの執筆者で初代米国救急医学会の会長。救急の教科書といえば「ローゼン」というほど有名。

 

なんとまぁ気さくないいオバさんって感じですよ。Tintinalliなんかクルマで結構あちこち連れてってくれたけど、HONDAのシビックに乗っていた。彼女の自宅の隣がフォードの会社の重役が暮らしているんですけど、その隣で日本のシビックに乗っているわけ。喧嘩売っているみたいなものです。デトロイトの街ですから。

 

高級住宅地でフォードのクルマが走っている中、彼女のシビックが走っている。それでね、彼女はフォードのクルマが嫌いなの。「隣の人は好きだけど、フォードのクルマは嫌いなの。すぐ故障する。でもこのシビックは買って何年、全く故障しない。私は日本のクルマのファンなのよ」って。

 

Peter Rosenに至っては「君はあそこのホテルからここに通うことになっているんだけども、お前オレの家に居候するというのはどうだね?あそこに泊まるとお金がかかる。我が家だとタダだ。」それは僕はタダのほうがいい。

 

「よし決まった」と、その日からRosenの家に居候することになった。彼は4人子供がいて、一番下の子だけが残っていて、あと3人の子供たちは皆出ていってしまって、地下に空いている部屋がいくつもあった。「その一つを勝手に使えばいいよ」と。

 

—どれぐらいの期間だったのですか(安藤)

 

数週間。

 

—最初のトロントの先生がアレンジされてでしょうか(安藤)

 

そうです。なんでこんなふうにでかいスーツケース持って、(デトロイトやデンバーなど)あっちに行きこっちに行きしないといけないのか。・・・あとで分かりました。福井県立病院に戻ってから全然うまくいかなくて、ある時、またトロントの教授が沖縄県立病院に来たときに泣きつきに行ったんです。

 

「北米ではこの救急の働き方は定番になっているけれど、日本ではこの働き方すると袋だたきにあう。絶対うまくいかないので、やっぱり総合内科に戻ろうと思っている」と言ったら、笑われてね。「あんたをトロント、モントリオール、デトロイト、デンバーと回したのは、なんでその順番で回したか分かっていなかったんだね」って。・・・いや、聞いてないし(笑)。

 

よく考えると、トロントは救急の医者が少し集まってきている感じ。モントリオールは救急の医者が交代勤務できちんと働いていて、デトロイトは救急の専攻研修のプログラムをやっていた、デンバーは臨床研究をしていた。その順番で彼は北米の救急の発展を見せたかったのね。

 

僕はイヤイヤ回っているから全然それが分からなかった。振り返るとそうで、「トロントからデンバーの臨床研究まで、北米でも30年かかっているんだよ。5年くらいでそんなものうまくいくわけないだろう」って。はははって笑われて、「あ、そうなんだ」と思った。

 

結局じゃあトロントからモントリオール、モントリオールからデトロイト、デトロイトからデンバーと、この4段階を自分一代でできっこないので、30年も無理。この方向でどこかこの辺までいって、次の世代にバトンタッチすればいいんだって思って、それで気が楽になった。

 

だから林(寛之先生)に引き継ぐときに、僕は道をデトロイトの途中まで来ていたと思うので、最後に臨床研究をやるデンバーのようなところにもっていってくれと。

 

だから(トロントで)ものすごくいい研修を組んでくれたんだけど、イヤイヤ回っているとそういうもんです。全然学べずに、壁にぶつかったときに初めて分かった。

 

北米でも30年かかっている。救急は各科との軋轢がかなりあって、いまだに小競り合いがある。救急医として各科の医者が認知してくれるまでに5年や10年で、そこまでいく仕事ではないんだ、とようやく気付かされた

 

ああ、そうなんだ、そんな焦ることないんだ。と、あとは楽〜に、必要以上に頑張らなくていい、自分がやれるところまでやればいいわ、と思ったら林先生とか一緒にやりたいという人が、急に出てきて、10年目ぐらいから少しずつやりたいという人が続いてきた。

​(#3につづく)

 
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#3 人が集まるのは

 

—人が集まり始めたのは何かキッカケがあったのでしょうか(前田)

 

1ヵ所に10年いたから。みんな3、4年、4、5年で終わる。5年目で一番辞めたくなる。鳥取大学の医者が総辞職したのは鳥取大学で救急が立ち上がって5年目です。みんな5年目ぐらいで嫌になっちゃう。

 

でも0だったところを、ちょっとずつ医者を増やしながら、デンバー※の研究までやるというのは30年かかる仕事なので、と最初から見立てたらね、5年ぐらいで結果が出なくても、それが普通なんだ、って笑っておれるわけ。

 

※当時のデンバーにはPeter Rosenがいた。

 

多くの人達はいきなりデンバーを見に行くわけ。そのデンバーの状態が、“30年掛かってここまでたどり着いた”という歴史を勉強しないので、デンバーのようにならないといって、周りの人たちに鞭を入れて、周りの人たちが何かだんだん離れていく。性急に変化を作ろうとして嫌われて、結局仲間を失うんです。

 

僕も最初の5年ぐらいはそういうギラギラと頑張って、いきすぎて他の人達が変化についてこれなくて・・・。

 

攻撃的になるというやり方では、みんな離れていく。

 

これって30年の仕事を始めたんだと思ったら、あまり人を責めないので、ゆっくり変化が起きればいいし、僕の代でデンバーまでいかなくていいよって思えたら、人間って優しくできるようになってる。

 

10年ってなかなか面白い年で、最初に救急に詰めていたときは、医者が80人ぐらいいる中で、30歳ぐらいなのでこの辺(※下のほう)なのね。医者ってやっぱり先輩の言うことはきく。他科の医者でも先輩は立てないといけない。後輩で他科の医者なんて、「ふんっ」みたいなもの。

 

僕はとっても若い医者としてアメリカに行ったので、僕の言うことを聞いてくれる人なんていないわけですよ。10年たつと、僕もこの辺(※中間あたり)にくる。そうするとこの人たち(※下のほう)は僕の言うこと聞くようになってくる。

 

骨盤骨折が来ると、“最終的には整形外科にいきますけど、今日は放射線科の先生に血管塞栓術していただいて、肋骨骨折は胸腔チューブ入れて、胸部外科の先生はICUから出るまでは胸腔チューブときどき見に来て下さい”って、僕が指示出したときに胸部外科の先生も、放射線科の先生も、整形外科の先生も僕より年下だとみんな嫌な顔しても「はい」っていう。年上の人は「これ、うちに振られても困るんですけどぉ」ってなる。10年いるとかなり聞いてくれる人が増えてくる。

 

もう一つはあとで気づいたんだけど、…これは放射線技師から言われたんだけど、多くの病院の、特に公立病院の医者たちは特定の大学の医局からの派遣なんです。だから本人がもうちょっと居たくても、3年から5年で必ず異動させられる。

 

病院って、たとえばある耳鼻科の医者が金沢大学から福井県立病院に来たときに、「オレはこういう手術をするんで、こういう機械が必要」ってかなり無理を言って機械を買わせる。高い機械を。

 

その人が変わって次の耳鼻科医が来ると、「オレこれ使わない」って、そういうことが頻発していたんですよ。病院はかなりお冠だけど、大学はそういうことを気にするような人事はしないし、県立病院が金沢大学に文句でも言おうものなら、「じゃ、医者引き上げますよ」と言われたら何も言えない。非常に悪いお殿様。

 

みんなが3年から5年でいなくなるのに、この人(※寺澤先生)は3年たっても5年たっても6年たってもいるわけですよ。みんなが不思議に思うわけです。「先生はいつまでですか?」って。「僕は金沢大学の出だけど、僕は医局の人事で来たわけじゃないので、たぶんここでずっとでしょう」というと、「えっー!」と驚く。そういう人がいないもの。

 

みんな3年から5年で消える。また新しい人に変わる。だから、そういう人の言うことってどこまで聞いたらいいか、みんな微妙な感じだよね。

 

その放射線科技師さんが、「先生が医局の人事じゃなくて、ずーっといる、ここで骨を埋める覚悟らしい」って分かった瞬間、この人を応援しないわけにはいかないって気分になってるって。だってほとんどの人がみんなそうだと思う。みんな応援しても数年ごとにいなくなって、数年わがまま言いたい放題で、去っていく。もう辟易している。僕のずっと居るというのは、そういう意味で彼らにとって価値がある。

 

結局、途中から看護師とか放射線技師とか検査技師がものすごく応援してくれる。10年ということは、そういうことなんです。

 

10年目に島田耕文先生、13年目に林寛之先生が来て、そのまま僕は楽〜に。2人の若い先生に、自分が1年目のときからいろいろな失敗の尻拭いをして、応援した医者が一緒に勤めてくれて、3人で働いた記念に赤い本(※『研修医当直御法度』(三輪書店))が出て、もうこれでオレはもういいや、みたいなふうになってた。そしたら福井大学に強引に…またこの話を次にしましょう(笑)。

 

…それも結局は食事会で決まった。(今度出す本に)「少なくとも2回食事で人生が変わった経験がある」って帯に書いてある(笑)。(#4につづく)

 
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#4 救急と総合診療の合体化

 

—当院も変わっておりまして、医局が入らずやっておりまして…(前田)

 

すごいですね。いまどきそれで成り立っているというか、それで進化できているっていうことが驚異的だと思う。ある意味大学と決裂して自分のところで医師を確保していく。普通はちょっといやらしい大学教授だと、妨害したりする。いろいろみんな辛酸を舐めて、よろしくないことをして、そういう人たちなので。

 

—救急と総合診療の合体化を是非我々の病院でも実現したいと思っています。それがまた医局に頼らずやりたいと思っています。それで、先生がなぜ救急と総合診療の合体をされたのか、また合体化する際にいろんな問題があったと思うのですが、そのあたりを教えていただけるでしょうか(前田)

 

救急と総合診療部が合体化しているといいなというのは、内科の医者の過ごし方が、あまりにも循環器内科なら循環器、自分の領域以外を、関心をもって診ようとしない。

 

総合内科的な分野がないと、救急は患者さんをどんどん引き受けるので、いくつもの問題を抱えた高齢者がかなり運ばれてくる。肺が悪くなったら心臓のほうが必ず悪くなる。心臓の先生を呼ぶと、美しく心臓が悪くなって肺がいい人は循環器、心臓が悪くて肺もちょっと悪い人は「うちじゃない」と。逆に呼吸器内科の先生も同じで、「うちじゃない」「うちじゃない」…って、うまく入院がスムーズにいかないんですね。

 

そういう患者さんは日本の救急室にすでに多いと思うし、そういう患者さんを「はい!私が診ましょう」という内科医があまり育たないのが、大学の内科医の育て方なので、救急と総合診療で合体してしまって、それを美しく循環器に渡す、それを美しく呼吸器に、これは腎臓内科にっていう患者さん以外のを、総合診療で救急から引き継いで診る、ていうふうにしてしまったほうが、って考えた。

 

引き受け手がいなくて、もし各科が「No」って言ったら、うちで診たらいいんだからと引き受けてあげる。各科の内科の先生の顔色を伺わずに、救急患者を受け入れる仕組みとしては、救急と密接に患者さんを引き受ける部署が入院担当にないと、救急は引き受けたけど、患者さんの行き場がないっていう苦しいことになる。

 

そういう意味で救急と総合診療がくっついていたほうが、そういう患者さんが順調に回るので、“救急の医者と総合診療の医者が一緒に働いて仲良しである”というのが大事なんじゃないかって。たいていは大学の総合診療部の教授と救急部の教授はすごく仲が悪くて、コラボはなかなかできない。水と油みたいなもの。

 

救急の教授は外科系出身、多発外傷、重症外傷、集中治療に関心がある。総合診療部は内科なので外傷はあまり診たくない。だけどたいていの年寄りは病気のために転んで、ちょっと骨折してケガと病気と混在した形で運ばれてくる。その人達ってなかなかうまく流れていかない。

 

すべて引き受ける救急室を作るには、救急部と密接に働く総合診療部がないとうまくいかないんじゃないかなと思って。漠然とそう思った。発展的に人が増えたら救急部で動かない救急専任の人や、総合診療部から動かない専任の人がいてもいいけど、下の若者は総合診療部で働いたり、救急部で働いたり、みんなやっちゃう。

 

その人の人生に合わせて、最終的に総合内科から在宅の看取りをしたいんだけど、若くて元気があるうちに独身のうちに救急の研修をたくさんして、最初は8対2ぐらいで、救急8総合診療2ぐらいでいって、だんだん5割5割になり、2割8割になり、というふうに。家庭をもって救急はかなりハードなので総合診療にシフトしていこうみたいな。

 

救急と総合診療が合体している感じで、自分たちの各家庭の事情とか、体力気力に合わせて、救急と総合診療とどのように研修していくかは自分たちが勝手に決めればいい。

 

新しい新専門医制度では絶対にできないことなので。そういうふうに育った人たちのほうが、今の日本の高齢者が増えた救急室はうまくいくはずなんだけど、学会のえらい先生たちは、そういう現場を見ていて知っているのか知らないのか、救急のカリキュラムと総合診療のカリキュラムは別物で、だから新専門医制度は壊れろ!壊れろ!って呪いをかけていたんですよ(笑)。そしたらだいぶ遅れましたよね。あれ私が呪いをかけていたから(笑)。

 

新専門医制度は非常に現場のニーズに合っていないので、いまはキレイな専門医のカリキュラムに乗らないで、どっちつかずの中途半端な研修をする人のほうが、患者のニーズにあった医者になれるっていう時代なのに、枠の中にキレイに入れようとしている。個人的には時代に逆行していると思う。

 

だから大学の息がかかっていないほうが、救急と総合診療を合体させた形で医師を養成し、救急から総合診療、総合診療から地域のほうに患者さんが回っていく流れは作りやすいかもしれない。

 

どこかの大学と連携していると、大学から総合診療部に医者として派遣したりしていると、「なんでうちの総合診療の医者を救急室で使うんだ」、救急のドクターが大学から派遣されてきたけど、「なんでうちの医者が総合診療で働かされているんだ」、そういう横槍が入る。大学と関係をもたないほうが、その地域のニーズにあった医者が育つ。

 

大学の教授がこんなことを言うのはおかしいんですけど。今みたいによろしくないことをして医師を吸い取っているのは、全部大学教授のよくないところ。みんな自分の医局に入ってくる人を確保するためという不純な動機で新専門医の制度をこっち寄りにっていう感じで決めてますよね。現場のニーズを考えている大学教授はほとんどいないんですよ。

(#5につづく)

 
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 #5 総合医を増やすためには

 

—救急部と総合診療部の合体導入時に他科からのハレーションというのはあったのでしょうか。(前田)

 

いや、もう、救急・総合診療を志す若者が結構あちこちに発生したのだけど、みんな潰されたのですね。それはね、病院の内科部長と院長がそういう若者を守るためにきちんとしたコントロールをしなかったからです。

 

なにが起こるかといいますとね、たとえばとても元気な真面目な総合診療医になるためのドクターが2人来たとしましょう。

 

その子たちは救急室からの、循環器内科・消化器内科とかクリアーにいかない人たちを「診ますよ!」っていって頑張りはじめるわけだけど、多くの病院ではたとえば循環器内科の先生が当直だったときに、前の日に軽い心不全とひどい肺炎の患者さんが来ると、循環器内科のドクターが「総合診療部に入院をたのもう」ってなる。

 

施設からの誤嚥性肺炎の93歳の人が来ると、「これも総合診療部だよね」。どんどん2人のドクターでは絶対にオーバーワークになるぐらい丸投げしてくる。

 

で、いわゆる循環器内科、消化器内科、呼吸器内科の先生にとっては「まぁ、便利なヤツが来たよなぁ、あいつら。この手のお年寄りはみんなあいつらに振ればいい。俺達は美しく自分たちの領域の患者さんだけでいいんだから。いやぁ、病院もいい若い医者を雇ってくれたもんだ!」って。

 

声に出していると思いますけど、結局その若者たちは、表向きは2人なのでベッド10って言われたのに、常時2,30人の患者さんを診させられて、心か体か両方が壊れて去っていく。

 

そういういい子が発生したときに、2,3人と彼のようなヤツが増えたら総合診療部のベッドは○床って、人の数に合うようにベッドは増やしていくけれど、まずはこの子が潰れないように、みんなで大事に育てないといけないっていうのを医局会で、内科部長と院長がちゃんと宣言しないとダメだと思う。

 

1人のときは○ベッドまで、2人になったら総合診療部のベッドは△ベッド、3人になったら□ベッド。それ以上にはみ出たら、そういう人がいなかった時代のように、各科で痛み分け。

 

そういうコントロールをしないと、必ず、そのいい、すばらしい若者が潰れていく。そういうのがあっちこっちであって、可哀想なことになる。そこにきちんとしたビジョンをもっていて、10年後20年後にこういうのを狙っていますというビジョンを出して、第一段階はこんな感じ、第二段階はこんな感じで、少しずつ人が増えていくのに合わせて、総合診療部のベッドを増やしていきたいので、この子たちを潰さないでくださいって、ちゃんと宣言しないと。

 

内科のサブスペシャリティの人たちは、とっても便利なヤツが来たっていう感じで、意図があるかどうか分からないけど、見事に潰すんですよ。

 

—若い先生もまた、断れないんですよね(安藤)

 

そう。燃えているんで、これをやるんだって来たので、頼まれたりしてNoと言えない、いいやつたちばっかりなんで、気がつくとオーバーワークで長く続かない。

 

一番いいのは、ある院長のときにこれがスタートしたときに、その院長が辞めたあとの次の代になる院長が、そのことを引き継いでいくという長期的ビジョンを病院が持てるかどうか。前の院長はこうだったですけど、オレが院長になったからには、オレは前の院長とはちょっと方針が違うんだってやられると、いい子たちがどこか別のところへ行かざるを得ない。救急も然り。

 

実をいうと院長よりは、次に院長になる副院長クラスが、どれくらいこのことに思い入れがあるかどうかが、うまくいくかどうかの大きなファクターだと、個人的にはそう思う。

 

院長ってそう長くは院長でないことが多い。

 

—院長もまた医局の派遣だったりすることもありますしね(安藤)

 

そう。もうだからね、福井県立病院なんか3年毎に院長変わった。彼らは長期的ビジョンを持てない。次に金沢大学に反抗できない。だからあんな院長誰でもできる。雇われ院長みたいなもの。

 

—なるほど、それはプライベート病院の強みではありますね(前田)

 

だから、変な話だけど、手稲渓仁会病院、亀田メディカルセンター、洛和会音羽病院、麻生飯塚病院。このあたりがあそこまでいけたのは、大学に人事を依存しないで、リーダーが長期的ビジョンで、教育力を大事に、臨床教育力を大事に、こういうビジョンで行くぞっていうのが長期につないでいくと強い。そういう病院ってみんな私立ですよ。

(#6につづく) 

 
病院の従業員

#6 北米型救急のはじまり

 

—北米型救急につきまして、北米ではどのように根付いていったのでしょうか(安藤)

 

最初にできたのは、Moonlighterっていって内科の中堅どころのドクターが、お月さんが出て来るころに救急室に準夜勤のときだけいるっていう。研修医だけに救急室診させていると、とんでもないことが起きるので、ちょっと指導・教育監督する役がいたほうが、きっといいだろうって思った人たちが、「オレ月曜日やるし、火曜日どう?」とか言って、準夜の時間帯だけERをウロウロする内科の中堅のドクターが発生した。

 

それがいつの間にか、たしかに彼のいるシフトは間違いが起きない、研修医の先生もとてもうまく教えてもらえるので、元気よく働いて、質が良くなるっていうのを病院が認識して、日勤帯や深夜帯にもこういう人がいたほうがいいだろうって。

 

いつの間にか、もとは内科医なのに救急医にシフトした、もとは整形外科医なのに救急医に進化したという人が出てきた。

 

そうやって大抵の僕が行った時の(北米の)救急部は、トップが内科出身ならナンバー2は外科系出身。トップが外科系出身ならナンバー2は内科出身になっていた。デトロイトにいたときのトップは外科の出身で、手術もしている人。Judith Tintinalliはナンバー2で、彼女は内科出身だった。そんなふうに、ある科からERドクターに進化した人たち。

 

で、救急外来で働いているドクターが入院患者をもつと、その患者が悪くなったときに、病棟でいろいろな処置をしてたら、次の救急車が断られるというのが、セイフティネットが維持できるとは思えないので、ERで働くドクターは入院患者をもってはならないという厳しいルールを作った。

 

だから北米のERドクターは入院患者をもたない。それを日本で始めたら、「外来だけで入院患者を持たないというのは医者として存在が許されない」なんて僕は言われた。

 

—私も言われたことがあります(安藤)

 

入院を持たないで救急外来だけなんて、お前10年早いって。要するに外来だけをやるのは年取った医者のやることで、お前みたいな若い医者が入院患者の管理をしないというのは、かなり定番で要求される。そういうの見たことがなければ許せないよね。

 

でも、僕はいつもそれに反論して言っていたんだけど、

「先生って麻酔科の医者って存在をもう認めてらっしゃいますよね」というと「ああ、麻酔科の医者はもう立派な専門医だ」。

 

「麻酔科の医者って、手術室に入ってきてから手術室から出るまでしか患者さん診てないですよね」というと、「いやでも、あいつらは俺たちが麻酔するよりも質のいい麻酔をするから」。

 

「でも、入院患者さんは持ってないですよね?」というと、「たしかに持ってはいないけど・・・、お前はでも持たないといかん!」って。

 

「それは先生方が片手間に麻酔していたときに事故が多かったから、外科系のドクターの中で麻酔が好きな医者が麻酔だけをやるという形で、手術をしない、手術した患者さんの主治医をしないで麻酔に専念することで、麻酔の質を良くする麻酔専門医が発生し、それはお認めになると。ではERの救急から第一報が入ってから初期対応をして、これは絶対循環器内科でないといけない、これは絶対消化器外科で手術しないといけないって、最初から途中までは質がよくなることで医事紛争が防げる。その病院の変な裁判での持ち出しが防げる。教育がよくなって若い医者がたくさん来るという、質をよくする教育をよくする救急室の専門医っていうのは入院患者を持たないでは認められませんか」っていうと「それはダメだ!」。

 

(一同笑)

 

「ぶっちゃけた話、麻酔科の医者は途中から途中までじゃないですか、それを認めておきながら、最初から途中までの僕達を認めないのは、僕は納得いかないです」っていうと「それとこれとは話が違う!」と。

 

(一同笑)

 

各科の医者が当直というやり方で、救急の患者を診ているときの質の悪さを、少しよくしてそこで救急医として認めてもらえれば、彼らは自分の専門のときしか呼ばれないわけだから、すごく楽になる。

 

麻酔科医が発生したのも、外科医は自分たちが麻酔してトラブルがあり、麻酔科医が麻酔してくれるとすごく手術に専念できていい、と。発想は全く同じなのに、麻酔科医はOKだけど、救急医はダメと。

 

各科の医者たちは、入院患者を持たない救急医を認められない。オレに相談なく勝手に引き受けといて、いざ手術が必要、入院が必要となるとオレたちに丸投げしてきやがる。オレたちの今日の仕事忙しいのになんで勝手に引き受けるんだと。安藤ってのは疫病神だな。

 

(笑)

 

っていう先生が、出現するのは当然の予想です。総合診療部の若い医者が発生したときも、内科の医者たちが「便利なやつが来たよ。年寄りの誤嚥性肺炎をみんなあいつに投げればいいんだよ。ラッキーだよなぁ」っていう声は、すぐ聴こえてきそうなのと同じ。

​(#7へつづく)

 
医師患者の手を握って

#7 総合医を目指す若者が潰れないために

 

こうやって総合診療を志した若者が潰れていっている、(北米型)救急を志した人たちが潰れていっている。それをうちでうまく増やしていくために、長期的ビジョンでこんな形で最初やりましょうって言って、スタートできるとちょっとはいいかなって。

 

—名古屋掖済会病院や福井県立病院ではそういう文化ができているってことでしょうか(前田)

 

でもねぇ、かなり取引的に、彼らは入院患者を絶対に0にできなかったはず。

 

—名古屋掖済会病院では救急科のベッドは本当は6床ですが、実際は30床前後入院を持っていました(安藤)

 

そうだね。つまり各科の医者の気持ちとしては、入院患者をまったく診ないで、急患を引き受けて、応急処置で各科に投げるなんて、そんなのを同じ給料もらっている医者として、どうしても納得がいかん、と。あいつらも少し入院を診て、ときどきは夜呼ばれて、ドロ被ってもらわないと、オレたちは正月や夜呼ばれてるのは不公平だ!っていう人がでる。

 

だから、取引して僕達もこんなに入院患者を診て苦労しているんですよ、っていうところを見せると、まぁ許してやるかって、そういう感じ。

 

だから福井県立病院で入院患者をもたなくてよかったのは、たった3年。美しくERドクターだったのは3年。林と島田耕文と3人で働いた3年だけ。

 

それまでは有機リン中毒が来てICUに入院させるけど、誰も診てくれない。内科の医者たちはみんな「えーっ!?」みたいな感じ。有機リン中毒だとか、みんなが嫌がる重症多発外傷とかが入ってくると、結局自分が主治医で、ICUのベッドで添い寝しながら2,3日は帰らない。自分が壊れるか家庭が壊れるか両方か。

 

そういうのをやらないと、「あいつもときどきは重症患者で泊まり込んでるんだ。じゃあいい」っていう暗黙の取引みたいなのがあった。

 

だからいきなり入院患者を持たないと宣言したときに、みんな「えーっ、ありかーっ!」って言った。

 

—ということは、そういう宣言をされたことがあるということでしょうか(安藤)

 

だって、僕はそういうドクターとして雇っていただけますかって手紙を書いて、それでは来てくださいと言われたので。沖縄県立中部病院でもそんなふうにスタートしているんだけど、福井県立病院でも救急センターに来るときに、こういう働き方でいかがですかって手紙を書いて、「はいどうぞ」って言われていった。

 

院長はそんな現場のことなんか、分かるような人でないので。金沢大学の教授が天下っているので。

 

そこをいかにクリアするかですよね。みんなが「入院を持たない救急医なんて聞いたことないよ。大学では救急部はICUで5,6床患者を診てた。ICUで入院患者診るんでないか?」。いわゆる大学の救命救急のことを知っている人たちは、必ず僕たちにそういうのを要求する。

 

アメリカ、カナダの救急医の働き方は日本ではほとんど知られてなかったので、気持ちはわからんではないですよね。

 

今までは自分たちが当直して、都合のいい患者さんは「どうぞ」、そうでない患者さんは「それは今ちょっとうち困りますわ」と救急の患者はより好みができていた。「あいつらは勝手に引き受けちゃうわけですよ」、「こちらの忙しさも分からず、先生、1人手術の必要な患者さんがいますよって突然電話かかってくる」。今日の段取りは全部壊れる。だからかなり悪戦苦闘の道のりです。文化の違い。

 

アメリカは重症の多発外傷が来た時に、ERドクターが診なくていいように外傷科を作った。いわゆる各科が困るような内科の患者さんは総合内科医が診るように総合内科のグループを作った。外傷科と総合内科がある状態だったのでERドクターはERに専念できた。

 

日本ってどっちもない。どっちもない状態で、救急のドクターが入院患者を診ませんっていうと、多発外傷とか中毒とか高齢者でわけのわからないショックが来ると、みんな「うちじゃない、うちじゃない」となる。

 

彼らのことを“うちじゃ内科”という。(笑)

 

それでうちが、これはしょうがない、循環器内科も呼吸器内科もうちじゃないというから、うちで診よう。もうしょうがない。そんな顔しないでさ、しょうがないうちで診ようって言ってたら、うちは“しょうが内科”って言っている。

 

—ジンジャーメディスンって言っている人もありますね。生姜内科…(安藤)

 

(一同)なるほど。(#8へつづく)

 
緊急車両

#8 北米型救急医の価値

 

簡単な道じゃないんですよ。大学が作った医者の働き方と違った仕組みで医者の働き方を作ろうとすると、“今までの医者の働き方はこうだった“というふうに思っている人たちから、必ず「そんなの絶対に認めない!」と言われる。

 

ただ、救急の医者がいるところで、救急外来での医事紛争が減る、救急外来での研修医の教育の質が上がる、この人たちの病院にとってのメリットはかなり大きいはずなんだけど。

 

救急外来の教育がいいってことが広まると、かなりの研修医がその病院に応募してくるようになり、そこで研修した子たちが、そこの女性の職員とロマンスに陥り、長期定着になる。

 

一旦は、そこから他に出しても、ある理由で、ある専門医になってから、そこに戻ってくるというリターニングがある。救急外来での教育力のアップは、その病院の長期的な人事確保の大事な投資だと僕は思っている。

 

なかなかそれを認識してくれないですね。

 

僕は福井県立病院と福井大学の救急室で35年ぐらい働きましたけど、医事紛争0ですよ。裁判0。

 

いま一発(医事紛争が)起きると1億円の時代じゃないですか。1,000万円の医者を10年雇って、1億円の医事紛争を防いだら結構価値があると思います。

 

個人的には人が増えると活力になるので、救急外来の教育力のアップは病院がバージョンアップしていくのに必須だと思っているんですけど、なかなか安直な人には響かないですね。

 

やはり医者が1人入ってきたら、医者が入院とか手術であがる収益が病院のプラスだってはじきますから。入院患者をもたない救急医がERに1人発生して、そいつに給料これだけ払うのに、そいつが入院患者であげる水揚げはどうなってるんだ?って(笑)。

 

そういう経済的なそろばんを弾く事務長さんは「入院患者を持たない救急医なんて雇うだけ赤字ですよ」って。本当は各科の入院を増やして、各科にかなりのプラスを発生させ、全部まとめると救急医がいないときより、いかにプラスが発生しているか。それは、見えない。

 

大学の救命救急のほうがプラスが見えるんですよ。だって救急部がICUで入院患者を一年間にこれだけ診て、救急のICUでの入院患者に収益あがるだろう、病院の収益はこれだけ上がっています。救急医がこれだけいて、救急はこれだけの入院患者で収益をあげています。「おぉ、いいだろう。来年もう1人増やせ」って院長は簡単に言えるんですよね。

 

入院患者を持たないERドクターを採用するって、プラスが見えないんです。経済的なプラスが見えない。そうとう分かった人がいないと。

 

しょうがない、宿命だね。それをずっと言われながら。しょうがないもんね。

(#9へつづく)

 
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#9 教育にかける思い

 

—これは日本のどこでも実現が難しいことで、どこかで本当に実現しようとすると大学病院ではなく一般病院であったりとか、みんなが理解できていないところで始めていくのって難しいのだなと思います。(安藤)

 

そうです。だから実をいうとね、大きすぎない病院がいい。大学の影響を受けない病院がいい、院長・副院長が長期的なビジョンをもっている、研修医を受け入れている、そういういくつかの条件が、うまくいくのにありそうな気がするね。

 

手稲渓仁会病院とか亀田メディカルセンター、洛和会音羽病院、麻生飯塚病院、みな救急に熱心で、必ず臨床教育に熱心。この2つをきちんと大事だと認識できるリーダーがいれば、僕は実現は難しくないと思う。

 

 

—脈々とDNAが引き継がれていることが分かりましたし、僕たちは安藤先生と、うちの院長先生と新しく救急を作り直したいなと思っていて、やはり教育をやりたいんですよね。これからの若いドクターのために。(前田)

 

教育を一生懸命やると、目に見えないプラスがたくさん発生してくる。経済的にそろばん弾きすぎると、なかなか見えないかもしれない。

 

病院がよくなるには教育力のアップが必須、教育を一生懸命やっていると必ずいいことが起きますよ、病院にパワーが出ます。

 

—教育、自分でもしているつもりでいるのですが、悩むときが多くて…(安藤)

教育を受ける人も、教育をする側の人も思い悩むので進歩する。思い悩まないで怒鳴り散らしている指導者は、あまりいい子を作らないですよね。

 

この人にはどういうふうに接したら、この人はうまく育つかなって、こちら側が考える。みんなに同じように接していても、教育は成果がでない。

 

こいつはアホ・バカ・カス・ドケってガンガン言ったほうがいい、この人はかなり応援的に言葉を選んで寄り添うスタイルがいい、あいつはもう突き放しちゃったほうがいい。そういう一人一人の違いを認識して、その人の持続的応援者であり続ける。

 

思い悩むんですよぉ、って、それが教育。思い悩まなくなったらアウト。「オレの教育方針はこうだ!」これ全然悩んでないですよね。悩み続けることを教育というんです。

 

—今日お話を伺って、改めてまた覚悟が定まりました(安藤)

(#10へつづく)

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#10 文化を変えるということ

 

T先生が市立C賀病院に行くときに、かなり脳外科の医者はこういうふうに責めてくるし、循環器内科医(※それぞれの診療科名は架空のものです)はこういうふうだからって。僕が言われたことをT先生に予想しておきなさいって言っていたら、「今日は先生が言われたように脳外科医からそのままを言われましたぁ!」「今日は先生が言ってたようなセリフを循環器内科医から言われましたぁ!」とか嬉しそうなメールが来てました。

 

—一度伺って聞いておくと、同じことを言われると嬉しくなります。先生と同じ経験をこれからさせていただけるというのが僕にとっては身震いするというか、もっと苦労したいなと(安藤)

 

文化を変えるような話なので、いきなりその人たちを否定したり、敵対しないほうがいい。その人たちがずっと培ってきた文化なんですよね。

 

医療って文化なので、そういう長く培われたものを新参者がいきなり壊すっていうのは。やっぱりずっといた人たちにとっては不愉快なことなので。それにいきなり牙をむいて戦うのは個人的にはやめたほうがいいです。

 

まずは長くそこで頑張って文化を築いてきた人たちに敬意を払うことをしたほうがいい。

 

考え方の違いと敬意を払う払わないは別物だから。ある沖縄県立中部病院の医者が高浜病院でずっと働いていた年配の医者と中堅どころの医者を、内科医としてのレベルが低すぎるって酷評したんです。

 

でも先生、内科医としてのレベルが低いってことと、彼らがこの高浜でそれぞれ40年と20年地域の医療を守ってきたことに関しては敬意を払うべきだと思いますけど、って言ったら「あんなレベルの低いやつらに敬意なんか払えません」っって言って2年ぐらいで辞めていきました。

 

医学的にレベルが低いことと、そこの医療を何十年も守ってきた人への敬意とは、僕は別だと思う。そう思えると意見は違っても敬意を払って、敵対しないように。
 

いきなり変わってもらうのは難しい。だって僕たちが簡単に変われないのに。彼らに変われというのは難しい。

 

 

—一宮西病院はここ5年で医者が増えていて、いろいろな文化が病院内に持ち込まれて、すり合わせをしながらうまくやっている先生もあると思うのですが、どこかで文化の衝突が起こることもあるのかなと思っていまして、うまく調整しつつ吸収できるところは吸収して、できたらいいなと思っています(安藤)

 

やっぱりねぇ、一宮西病院も地域でやってきて、地域に合わせた一宮西病院の文化がある。それをどういうふうにしたら一番いい方向に持っていけるかっていうのを考えながら、あちこちの病院や大学から、自分たちが見聞きしてきたものを出してきたら、「いまのこの病院に一番合っているものってなんでしょうね?」ってみんなで探りながらいく。

 

自分で持っていたものをいきなり「こうだ!」って出すと、出羽守(でわのかみ)になるだけです。

 

出羽守っていうのは、「あのー、福井大学では」「福井大学の寺澤先生のところでは」「僕が行っていたアメリカでは」「僕がいた亀田メディカルセンターでは」。では…、では…って言う人を出羽守っていうんです。

 

だいたい受入れられない人に多いですね。そちらの昔の、彼がいたところの話でなくて、ここにあったものが何かを生み出すようにしましょう、というのが僕はいい。

 

大事なことは、本当はみんなが少しずつ変わるといい。みんなを変えようとするなら、僕が少しずつ変わらないと、みんなは変えられない。

 

そこの救急隊は、自分がいたところの救急隊と動きが違うとか、救急外来で働く看護師さんがこう違うとか、たくさんあるんですが、まず行って自分が知っているものと違うと思ったら、絶対自分が正しいとか彼女たちが間違っているという見方ではなくて、彼女たちがこういうふうになった理由は、こういう地域のこういう歴史的な何かがあって、そういうふうになっているので。

 

どうしたらうまく今の地域にあうように、変わるように進化、自分ができるか、相手ができるかって考えれば、おそらくあまり人とうまくやれないというのを防げるんじゃないかなと。

 

—本日はお忙しいところありがとうございました。寺澤先生には総合救急部の臨床教育顧問として、年に何度かご来院いただき研修医教育に来ていただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(安藤)

 

 
社会法人杏嶺会 一宮西病院 ​総合救急部
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